道目記城跡
(どうめきじょう)
と豊玉稲荷
新城市杉山字道目記
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1560年(1570年と云う説もある)、菅沼十郎兵衛定氏によって築城。 昭和33年(1958) 4月1日
市指定史跡
その後、田峯と長篠の菅沼氏は武田軍にが降ったが、定氏は
野田城
の菅沼定盈とともに終始徳川方に残った。
元亀4年(1573)に武田信玄が野田城を囲んだ際には、ここ道目記城に入って本営としている。
現在、城跡は横浜ゴム社員寮と千歳中学校の一部で、豊玉稲荷社が鎮座している所が本丸の土塁だったという。
新城昔ばなし「
豊玉稲荷の由来
」
東三河の城跡
東三河の神社
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(4)豊玉稲荷社
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