法住寺・千手観音・松平長三郎忠高の墓
豊川市御津町赤根字百々61
室町時代の永正5年(1508年)に
将軍足利義澄
が創建した曹洞宗の寺院で、山号は呑海山。
当初はささやかな小庵にすぎなかったが、後にこの地の領主
松平長三郎忠高
によって諸堂が造営され、法住寺と改められた。 松平忠高の墓は、本堂裏の墓地の一角にある。 ちなみに、忠高の妻は、吉良上野介義央 の父の妹とか・・・
毎月17日の
観音様命日
には千手観音菩薩が拝観でき、参道から観音堂周辺には多くの露店も並び、沢山の参拝者でにぎわう。
山門には左甚五郎作という虎猫が刻まれていると云うが、今は見当たらない・・・
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【 2011年07月23日撮影 】
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(3)森下入道の墓
(4)
(5)
(6)
(7)観音堂
(8)
(9)水子地蔵尊( 2024年10月13日撮影 )
(10)
(11)四国八十八箇所霊場
(12)
(13)松平長三郎忠高の墓
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