「 上佐脇部落の南方を流れる白川は、昔は野川といって、大雨が降れば水量を増し、橋がないために、村人はたいへん難儀をしていました。江戸時代のころ、村の青年たちは、このことを何とか解決したいと相談し、近郷近在の家を廻り、念仏を唱えながら、喜捨を集めることにしました。このこのわずかずつのお金を積み立て、何年もかかってついに橋を完成させ、これに因んで名も「念仏橋」と決められました。(中略)
昭和8年ごろ、農村振興土木工事が実施され、念仏橋を架け替えるについて、地元の区長にも相談がありましたが、県の強い意向により、「念仏橋」の名を廃して、「野川下橋」と決められてしまいました。」 「みと歴史散歩」より引用 |