武田方の 秋山新九郎 が守る 足山田城 は、信玄 が 野田城 で負傷して甲州へ向かうとき、家康 に攻略され陥落した。 この時、秋山新九郎の家臣であった 秋山六郎 だけは難を逃れ長山村に隠れ住み、このことから、地元の人々は「城山くずれ」と呼んだ。 その後、天正3年(1575年)5月、長篠合戦 にむかう徳川・織田の軍との戦いで壮烈な死を遂げた。 後の正徳3年(1713年)、村人は彼が住んでいたあたりに菩提供養のための墓を建て、それからこのあたりを
"六郎辻" というようになって、今でもこの地名が残っている。 更には、大正8年(1919年)には墓前に「烈士秋山六郎の碑」がつくられた。
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