「東海道にゃいい親分がいるぜ。 三州寺津の間之助、西尾の治助、宝飯郡の雲風亀吉、御油の源六なんてったらすごいからな~・・・」 と唄われたご存知広沢虎蔵の浪曲。 ここに出てくる
平井亀吉(風雲亀吉)は文政11年(1829年)旧小坂井町平井の生まれ。
江戸大相撲の清見潟部屋で四股名を「雲風」といい、序二段十九枚目で相撲廃業後、東三河の博徒、平井一家の親分となる。
北越戦争に従軍後、士族に登用され、晩年下佐脇の地に住んで、明治26年(1893年)3月24日、66歳で没。
清水次郎長に襲われたときに落命した子分の墓、無縁法界の墓 は平井共同墓地にある。 |