中村道太 は天保7年(1836年)吉田藩士の中村哲兵衛の長男として生まれ、慶応2年(1866年)福沢諭吉と師弟関係を結ぶ。 その後、明治5年(1872年)丸屋商社(のちの丸善)に入社し社長となる。 そして豊橋に戻り、明治8年(1875年)東三河地方で初めての銀行である浅倉屋積金所(つみきんしょ)を設立し、さらに、2年後には、豊橋に第八国立銀行(東海銀行の前身の一つ)を設立。 1880年(明治13年)横浜正金銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)頭取となるが、2年半で辞任し、東京米商会所の頭取となる。
しかし、資金を立憲改進党の大隈重信に流したことで失脚。 大正10年(1921年) 85歳で死去。 第八国立銀行跡 は札木通りにある。 |