諸大名が駕籠で旅する時代、吉田から姫街道へと往来は次第にはげしくなり、諸大名の行列の中には奥方や姫君の姿も見られた。駕龍や徒歩の旅では、随所に茶屋を設け、そこで一服しては進んだであろう。どうせ休むなら風光明媚の地をと、吉田城から最初の茶屋に選ばれたのが石巻山麓、神田川の下流であった。伴の武士を遠ざけて川辺に打輿する奥方や姫君の姿は、さながら錦絵の様に美しかったことであろう。
後、土地の人、この茶屋場を流れる神田川に架けられた橋を称して「お茶屋橋」といった。
― ふるさと豊橋(豊橋市校区社会教育連絡協議会発行) より抜粋 ― |
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