よろい塚・中西与右衛門の墓
豊橋市清須町堂西60
清州新田の中央部に、大きな木が茂っている塚がある。
清州新田を開発した
中西与右衛門
が、工事の完了後に伝家の鎧を埋めたため「よろい塚」と呼ぶようになったという。
そして、この塚の中央には中西与右衛門の墓があるが、外からチョッと見ただけでは判らない。 近づいて中をよ~く見ると墓石が見えるが、写真(1)の電柱の所から畦道のような所を入って行くと墓の正面に行くことができる。
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【 2018年07月01日撮影 】
(1)よろい塚
(2)中を覗き込むように見ると墓が見える
(3)
(4)
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