昭和20年(1945年)1月14日、14時52分、名古屋空襲を終えて遠州灘へ抜ける敵機B29の編隊を、厚木から長躯迎撃した遠藤機 「月光」 は、豊橋上空にて編隊へ突入し被弾炎上。 遠藤大尉(のちの中佐)は燃える「月光」を田原上空まで操り、同乗していた西尾上飛曹(のちに少尉)を脱出させるが落下・戦死。 遠藤大尉は民家の密集地への墜落を避けて山間部で脱出し、そのまま落下・戦死。
この碑は、民家の密集地への墜落を回避したことに対する感謝の気持ちを込めて建てられたもの。
碑文:つはものは優し 天翔ぶおのが機に 月の光といふ名をはせつ 空の勇者ここに甦る 四海波永遠に安かれ 空の防人ここに眠る |