村松愛蔵 は、自由民権運動の指導者で、安政4年3月2日、田原藩士の家に生まれ、民権政社「恒心社」を組織し、自由党に投じて活躍、自由民権の説を主張した。 明治17年(1884年)には、同志を募って挙兵を企てたが未然に発覚し捕らえられ、国事犯として刑に処せられた(飯田事件)。憲法発布による大赦で出獄後、衆議院議員を4期務めたが、明治42年(1909年)ふたたび投獄されて政界を去る。 昭和14年(1939年)4月11日、83歳で死去。
村松愛蔵生誕の地 は中部小学校西門の横にあり、村松家累代の墓は 城宝寺 の渡辺崋山の墓の向って左手にある。 |