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この辺りに木地師(きじし)が在住したのは、江戸末期から大正末期とか。 江戸時代に近江国(滋賀県君ヶ畑蛭谷)から小野宮惟喬親王を始祖とする木地師の一団が来て住居を構え、木地の生産を始めた。 天然木を倒し、ロクロにて挽き、盆、掻い出しやしゃもじ、茶つぼ等を作り津具や稲武の問屋に出荷し生活物資と交換して暮らしていた。 村人との交流はあったが、生活には一線を引いて婚姻関係等は一切無かったという。現在はかなり荒れた状態で、周囲はロープが張り巡らされ、周りも板が打ち付けられて中の様子を窺うことはできない。
久し振りに訪れたら、完全に取り壊されて跡形も無くなっていた・・・・ |
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(1)面ノ木ビジターセンター大天狗像前の駐車場南側から、この急な階段を下りる・・・・・ 帰りは大変! |
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(8)写真をクリックすると拡大表示されます |
(9)2015年8月15日に訪れた時はサラ地になっていた・・・・・ |
(10)でも・・・ なぜか? 説明版だけは残されている。 |