明治14年、太田、城田、北川、筒井の4氏がお金を出し、村人も協力して布里用水の開発に乗り出しました。
巴川→丸瀬→神田貝津→西向→長畑→藩口の順に作る計画でしたが、なかなかはかどりませんでした。長さが5kmもあるのに高低差が1mしかないことと岩場が多かったことがその原因でした。特に長畑では、岩盤に、6mのトンネルを掘ったところで作業が完全に中断してしまいました。岩肌を焼いて水をかけてもろくしても、石のみではびくともしませんでした。そこで、しかたなく川沿いに溝を掘り進むしかありませんでした。こうした苦労を重ね、とうとう明治18年完成しました。以来、布里にも水田が増え、豊かな村になりました。 説明板より
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