山本信供戦死之地
新城市大海字下林38
山本勘蔵信供
は、弘治2年(1556年) 山本勘介晴幸の子として山梨県高根で生まれた。
天正3年(1575年)5月、設楽原の戦いで武田勝頼 に従って出陣し高坂昌澄らと共に
長篠城
監視隊として寒挟川沿いに布陣していたが、武田軍の総崩れともに
勝楽寺
前で20才の若さで討ち死。
山本信供の墓
は、川路地区と、黒田地区にある。
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【 2013年10月12日更新 】
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