七人塚  新城市池場字下日向
長篠合戦のとき織田・徳川の連合軍に破れた武田方の武士たち七人が、追われながら信州目指して逃げ続け、やっとこの地までたどり着いた。しかし、体中に幾つもの傷を受けていたので、とうとうここで力尽き、自匁して果てた。部落の人たちは気の毒に思い、塚を築いて丁重に葬ってやった。」 ― 鳳来町誌民族資料編(南設楽郡鳳来町発行) より ―

  個人宅の為、周囲の写真は省略。
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【 2016年04月16日撮影 】

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