徳定城址  新城市徳定229
室町時代の弘治2年(1556年)、野田城 主・菅沼定村 が当地の警備の為に弟・菅沼又左衛門に築城させたという。
その後、天正3年(1575年)に廃城となる。
場所は 竹生神社 から県道21号豊川新城線を東へ進み、徳定公民館 のある四つ筋の東北角に「徳定城跡」の幟が立っている。 この角を左(北)へ曲がると前方に小高い丘が見え、丘の斜面にも徳定城跡の幟がある。 更にその先にも幟があるが、ここから入ると工場の中に入ってしまうので、その手前の斜面を登るが、足場は決して良くない。 登り切った丘の上は畑地になっているが、土塁や曲輪跡らしき雰囲気はある。
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【 2023年03月22日撮影 】

(1)竹生神社から東へ向かうと

(2)徳定公民館前の四つ筋の角に徳定城跡の幟が見える

(3)この角を北に進むと

(4)前方左手に小高い丘が見える

(5)丘の斜面にも幟が見える

(6)徳定城跡の幟だ~

(7)幟の所から丘を見上げる

(8)更に先の幟の所を左に入ると民間工場へ入ってしまうので・・・

(9)止む無く、手前のここから丘の上に登る

(10)足場は決して良くない

(11)土塁か?

(12)

(13)平坦地が広がる。 曲輪跡か?

(14)城址から街並みを見下ろす

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