設楽氏の主城で、築城年代は定かではないが応永の頃(1394年~1427年)という説がある。
戦国期、設楽貞通 は松平元康(後の徳川家康)にいち早く従属し、天正3年(1575)の長篠の戦いでは酒井忠次の部隊に参加、その後、徳川家康の関東移封に伴って武蔵国礼羽に移り、川路城は廃城となる。 川路城に隣接するようにして小川路城、端城 があるが、何れも川路城を本城とした出城である。城趾の近くに 「お鷹井戸」と呼ばれる井戸跡が残っている。 これは、歴代の城主が鷹狩の際の鷹の飼育にこの井戸水を使っていたという。
新城昔ばなし 「 おたか井戸」 |