岩広城(広瀬城)跡  新城市富沢字破城
鎌倉時代の正和元年(1312年)、設楽重清 が振草から富沢に来て豊川の断崖の上に築城。
天正18年(1590年)、徳川家康 の関東移封に伴い武蔵国埼玉郷へ移ったが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後、再び設楽に戻った。
設楽重清夫妻の墓とされる 全光塚 は、ここから北東へ150m程の所にある。
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【 2017年03月11日更新 】

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