慈昌院・石橋城(弾正屋敷)跡
新城市作手清岳寺屋敷3
標高520mの段丘上に建つ石橋城(別名:弾正屋敷)址は現在「石橋山 慈昌院」と呼ばれ、ご本尊に釈迦如来を安置し、臨済宗のお寺となっている。
作手三弘法
の一つ。
「 天文6年(1537年)9月22日一族奥平弾正(父は貞久の二男久勝)は公(貞勝)の若年なるに乗じて、不軌を図らんとす。 公之を探知するや土佐定雄(貞久公の五男和田出雲貞盛二男)をして、その居館を急襲せしむ。 定雄賜う所の長槍を揮うて弾正をたおす。」 と、中津藩史貞勝公の条に記されている(作手村誌)
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