稲木長者屋敷跡  新城市稲木字観音前
平安時代の天慶元年(938年)に依田宗漆(よりたそうしつ)が、稲木の観音前の広大な土地に居を構えた。
その後140年余の歳月が過ぎ、藤原季兼(すえかね)によって攻め滅ぼされたという。
遺構は全く残されておらず、広大な田畑が広がり、「 稲木長者」の伝説だけが残されている。
このページを印刷   前のページへ戻る   表紙へ戻る
【 2022年08月01日撮影 】

(1)

(2)

(3)

(4)

前のページへ戻る   表紙へ戻る   このページのトップへ


無断で当サイトの写真・地図の複製を禁じます