半原藩邸跡・八名高等小学校跡
新城市富岡字大屋敷
天文5年(1536年)
、
安部信盛
が八名郡4000石の加増を受けて半原に藩邸を築き、明治維新まで続いて、廃藩置県により廃止された。
藩邸跡地には
明治20年(1887年)4月
に八名高等小学校が建てられたが、
明治43年(1910年)3月
に廃校となり、その跡碑が残っている。
2019年3月18日に訪れたら、写真(2)の説明板が新しくなっていました。
ここから北の畑地に向かうと、
藩校「学聚館」跡
がある。
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【 2013年09月28日更新 】
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