江戸時代の文政9年(1826年)、3,000石の旗本 菅沼定敬 が築城したという。 田口線の開通、そして廃止、バイパスの建設などで屋敷跡はズタズタにされ、稲荷神社も移されるなど、開発優先で陣屋の遺構は無く、陣屋裏側の石垣だけが辛うじて残っている状態。
県道32号長篠東栄線を北上し、海老郵便局辺りから左前方を眺めれば、赤い鳥居が目に入る。これが 稲荷神社 で、神社の裏辺りに屋敷の石垣が残っているが、私有地の中なので、勝手に入ることはできない。 今回、住人の方のご厚意により写真に収めることが出来た。いろいろお世話になり、本当にありがとうございました。 |