八幡神社・上ノ川遺跡(うえのかわいせき)  新城市矢部字上ノ川14番の1 21K
元の社地は字谷下に鎮座していたが、江戸時代の文政8年(1825年)4月14日火災により社殿が焼失、現在の場所に再建したという。
祭神は誉田別命(ほむたわけのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)で、例祭日は3月第2日曜日。
ここは1575年の 長篠・設楽ヶ原の戦い の際、北畠信雄、稲葉一鉄が布陣した新御堂山陣所だったというが、遺構は無い。
境内の東側には弥生時代の上ノ川遺跡があり、昭和33年4月1日に 市指定文化財(史跡)になっているが、遺構は確認できない。
春には境内全体が桜に包まれる。
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【 2015年10月13日撮影 】
以前はこの様なお社だったが……

(1)写真をクリックすると今の姿に・・・

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2018年3月11日、社殿は取り壊され、裏の杜は伐採されていた

(3)

(4)
2018年10月24日、社殿は新しくなっていた・・・

(5)写真をクリックすると以前の姿に・・・

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(9)真新しい社殿と広々とした境内

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境内の東側辺りに上ノ川遺跡があったという( 2024年7月3日撮影 )

(11)社殿の色が変わっている!

(12)この辺りが遺跡?

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