豊川城跡(豊川村古屋敷跡)・光明寺    豊川市西豊町1丁目59
三河国司であった大江定基の孫、大江定厳が豊川の地頭となり、この地に館を構えたのが始まりといわれている。
慶長7年(1602)、刈谷藩主水野勝成の弟水野忠直(水野八十郎)が宝飯郡内で三千石を領して陣屋を構えた。現在は浄土宗終南山光明寺に変わり、墓地には水野八十郎の墓がある。
寛永11年(1634)忠直が没し、子政直が継承したが、翌年、家禄は没収され、屋敷も取り壊された。

大江定基  水野勝成      詳しい地図はここをクリック   一つ前へ戻る   HOMEへ戻る
 
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水野八十郎の墓

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