羽柴秀吉陣地  新城市牛倉字宗国
設楽原の戦い の時、秀吉は39才で、まだ羽柴と名乗っており、織田信長戦地本陣 の北側、織田・徳川連合軍の最左翼に陣を構えていた。
ここには、左 「木下秀吉陣地」 と、右 「羽柴秀吉陣地」 の2つの石碑が建っている。
秀吉が陣をしいた辺り一帯の宗国地区を 「はたぼこ」と呼び、4百年後の今もその名を伝えている。
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