[ 弘法山公園 ]

海抜60mの小山で、山内に八十八ケ所弘法の存在するところから弘法山と呼ばれる。
麓には、音羽川が流れ山上よりの眺望はよく、市内はもとより東方に石巻山、本宮山、さらに遠くアルプスの連峰を眺め、西方には紺碧の波静かな三河湾を望める・・・とある。

弘法山の入り口には「従是北、相良領」という田沼領を示す傍示石がある。
田沼意次は安永元年(1772年)老中に昇格、国府村、森村等は田沼領となる。
従是南、相良領」の標識は、高膳寺にある。
 昔は・・・

広場は、子供たちの遊びの場、運動の場として広く親しまれていたが・・・
現在では、上の写真のように、フェンスで囲まれ、認可された人達だけが利用できる。

春には桜が咲き、山頂からは音羽の流れと、現西部中学校に渡る岡本橋が見える。
遠くに見えるのは「宮地山」か?
この頃の音羽川は ♪音羽川長久(とわ)に流れて・・・♪ 国府小学校の校歌にピッタリ!  

弘法山の入口に架かる、木製の赤い欄干の「楽園橋」は、今も脳裏に残る。
この赤い欄干の橋を渡って弘法山で遊んだり、国府小学校に通った方も多いはず・・・
夏には冷を呼んだ「音羽の滝」 ふもとの散歩道(?)には、小さな滝(左の写真)があり、夏になると水が落ちる。そのそばの木製のベンチで一休み。
この風情あるベンチも、今はコンクリートのキノコ形ベンチに・・・・(写真右)
???橋の欄干も変っている・・・
武田準平翁碑(「豊川の歴史散歩」より)

弘法山の山頂に高さ4.4mの大きな碑が建っていた。これは昭和3年(1928年)、国府の村人が翁の徳を慕って建てた物。
頂上には展望台があり、ここからの三河湾の眺め、眼下に見下ろす国府の街並みは、懐かしい方も多いと思う。 展望台ある所から下のグランドにかけて、コンクリート造りの長い急なすべり台があり、当時の子供たちはズボンのお尻の部分をすり減らして遊んでいた。滑り下りたら、また、この急な斜面をよじ登る。

そして、今・・・ これらの石碑も展望台も、滑り台も無くなり、

頂上からの展望を楽しんだこの場所に、税金で建てられたサン・シティーが建ったが・・・


自由に運動をし、花見を楽しんだ広場も、このように金網のフェンスで囲まれ、野球をする以外に利用できない???
これって、公園?? あ〜っ、もったいない!

すべり台も取り壊され、人工的な植樹が行われる。


今(2004.1)は取り壊される運命にあり、武田準平翁碑も移され、無残な姿となっている。
昔、この碑の所に登って三河湾を眺めた記憶が懐かしい。

武田準平翁碑は見晴らしの良い所から公園片隅の木の茂った薄暗い所に移されている。

今では、季節になるとツツジやサツキが色鮮やかに咲くようになったが、花の近くに寄るのは難しい・・・
弘法山公園のツツジ を見る


田沼意次( おきつぐ ) 8代将軍吉宗に才能を見出され、九代将軍家重の小姓から出世し、十代将軍家治の側用人として取り立てられ、40才で大名になって相良藩主となり、その後5万7千石の幕府最高職の老中となる。
安永元年(1772年)老中となってから天明6年(1786年)老中を失脚するまでの15年間、三河の国、国府村、森村、為当村、御馬村など12カ村を所領。これらの村々を支配するために国府村の高膳寺付近に陣屋(田沼陣屋)を置いた。
昭和3年(1928年) 大相撲のラジオ実況放送が開始。
嵐寛寿郎主演の「鞍馬天狗」が封切。

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