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明治38年、地元有力者が資金を出し合って、1,100人収容の大娯楽の殿堂「霞座」が完成!
昭和40年まで、国府の人々を楽しませてくれた。
右下に流れるのが音羽川。堤防いっぱいまで川幅が広がっていて、水の中では子供たちが魚取り等を楽しんでいる。
川に架かる橋は、豊成橋。
← 中日新聞社発行 [写真集 愛知百年]より
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昭和24年(1949年)、国府町青年団による「宮本武蔵」が公演される。
地元の人達の色々な催しも行われ、地域に密着した娯楽施設となっていた。 |
霞座は、当時の「娯楽の殿堂」として、美空ひばり をはじめ多くの芸能人の公演が行われたり、記録映画「南極大陸」など、様々な映画も上映された。
当時の公演チラシに印刷された広告から、国府の町にはいくつかの洋裁学校があったらしい。 |
この頃の電話番号は、局番無しの1~2桁の番号!
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電話をかける時は、ハンドル(写真には見えない)を廻して電話局の交換手を呼び出し、相手の電話番号を伝えて、接続してもらっていた。
上にある2つの椀型の物がベル、左に掛かっているのが受話器、正面の丸い黒い部分が送話器。外観は木製。 |
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