● 百万遍の数珠 前のページへ戻る   HOMEへ戻る 

 江島、江村の永昌寺に百万遍の数珠があります。珠の数が108で珠の大きさは直径4センチくらいあったと思います。百万遍の大数珠は昔、各村にあったものと思います。
 したがって百万遍のお念仏も各村で行われたものでしたが、今は小牧と足山田の集落で行われていると聞いております。
 江村の百万遍の念仏はどのようなときに行われたか、私が祖父から聞いたところでは、虫送りと呼ばれるうんか送り・雨乞い・日蝕・月蝕・村に大病人が出たとき・悪病が流行したときなどに行ったと聞いております。
 今のように新聞、ラジオ、テレビが普及し、科学が発達した時代ですと、日蝕も月蝕もその日時が報道され知ることができますが、私の子どものころはラジオもテレビもなく、新聞も江村で数えるほどしかとっておりませんでした。まして百万遍の念仏が行われたころは新聞も2〜3軒しかとってなかったと思います。
 日蝕で急にあたりが暗くなってきたり、お月さまが欠けてきたりするのを見た人の驚きとおそれは大きかったと思います。このようなときお寺に集まって百万遍の念仏を唱えたと聞いています。村に大病人が出たとき病気がよくなって元の元気な姿になるように、村中1軒1人は必ず出てお祈りをしたといいます。昔の氏神様であった東上のわくぐり様の石の鳥居が元の信州街道沿いに建てられており、松食い虫で枯れましたが松の大木があり、鳥居松と呼んでおりました。この鳥居松の前に豊川が流れ浅い瀬になっており、浅い川、鳥居松の浅い川と呼ばれていました。
 この鳥居松の浅い川に村人が集まり水ごりをとって病気が早くよくなるように祈り、お祈りがすむとお寺から持って行った花立に川の水を汲みお寺の庭先に円陣を作り中央に花、ろうそく、線香を4本たて数珠の中心におき、数珠を廻して百万遍の念仏を唱え、数珠のふさのあるところがきたら、おしいただいて頭をさげたといいます。線香は大病人以外のときは3本立てたと聞いております。
 鳥居松の浅い川は、神聖な場所とされていたらしく雨乞いのときも、氏神様のお祭りのときもこの場所で水ごりをとったといいます。お祭りのときは村の若い衆、青年は水ごりをとり体をきよめ昔の神主の家で届けられた神酒のどぶろくを飲みお宮へでかけたといいます。
 百万遍の念仏は、明治年代の終わりごろには行わなくなったそうです。

ふるさとの伝説 昔のはなし(宝飯郡一宮町発行)より引用


永昌寺

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