● 三河三水「やり水」ものがたり 前のページへ戻る   HOMEへ戻る 

 ヒュー、ヒューと北風が泣くように吹き荒れる、寒い寒い晩でした。
 人里離れた山の中に年をとった尼さんが堂守をしている阿弥陀堂の戸間口を、寒さにふるえながらトン・トンと叩くので、尼僧さんが戸をあけてみると諸国行脚の旅姿の、疲れきった1人の旅僧が立って一夜の宿を乞うのでした。
 その姿を見た尼僧さん、あまりにも哀れに思い、
「まぁ、お入りなさいませ。」
とお堂の中に入れ、ありあわせの食事を食べさせ、いろりの火を焚き暖をとり温かくもてなしました。
 そしてその夜は旅の話をして、旅僧も疲れのためにグッスリ寝つきました。が、夜中になると雨戸を叩く風の音に旅僧がフト目をさますと、尼僧さんが勝手口から手桶を持って、闇の中へ消えて行くではありませんか。
 不思議におもって、寝つかれぬまま床にあること二刻あまりたつと、尼僧さんは手桶に水をいっぱい汲んできました。そこで旅僧は、
「尼僧様、これはいったいどういうことですか。」
とたずねると、尼僧さんは、
T本宮山の南に広がる扇状型のこの地方の丘陵地は、むかしから水に恵まれず、井戸がない難儀なところで、ここから東の方へ10数町行ったところに流れる宝川というきれいな川の水を汲んできては、毎日の暮らしをしているのです。」
と言うと、
「それはエライこと、お気の毒なこと。」
と言って、あくる朝になると、お堂の中にあった槍をとって庭に出て一突きし、旅についてきた桜の杖を挿すと、不思議なことにその穴から水が湧き出し尽きることがありません。尼僧さんは大変喜んで、
「ありがとうございました。ありがとうございました。」
と旅の坊さんにお礼を言いました。そしてそれ以来これを飲み水に使うようになりました。
 この湧き水は溢れるように噴き出し流れて、現在まで地域の人たちをうるおっています。
 村人たちはこの湧き水を、「やり水」と呼ぶようになり、八名井村の「いま水」、そして稲木の「よし水」と合わせ三河の神秘な3つの霊水として信仰の的にもなりました。
 そして、この時の旅僧こそ弘法大師の全国遍歴の姿だったと言われています。

ふるさとの伝説 昔のはなし(宝飯郡一宮町発行)より引用


西漸寺とやり水

一つ前へ戻る           HOMEへ戻る