● 大木の不動の滝ものがたり 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 宝陵高校正門の横に、年中、湧き水の絶えたことのないお滝が流れ落ちています。
 ここは、村の発祥の地とも言われています。弥生・縄文時代の住居跡などもあり、遠いむかしから開けていた丘陵地帯でローカル色の濃い地域であります。
 このお滝、珍しいことに湧き出している山上に山岳信仰の的である役の行者、浅間杜、駒ヶ岳杜、賽の神といった山岳神社を祀ってあり、才原古墳群の一つで行者古墳とも呼ばれています。
 湧き出した水が這うように滝口へ流れ、直下5mの美しいお滝となって流れ落ち、中国地方から伝わったと言われる米作技術にこの水を使い試みたものだとも言われています。鑓水、新道地方の新田への潅漑用水の役目を果たすなど貴重な水としても利用されていました。
 そしてまた大木村の東の不動の滝、西の村境のみささぎの滝とならんで、三河の国造りの時代から聖地として保護され、また信仰の場であったとも言われます。滝の名前が誰によって命名されたかは残念ながらわかりません。
 滝つぼを覆うように繁る老杉の根元に、小さな祠が代々建立され伝えられ、白装束になって滝にうたれる信者の姿を見たものでした。
 今はもう知る人もいなくなってしまいましたが、明治から大正にかけては村出身で成功した石屋さんの篤志で、この滝の周辺が整備されました。滝つぼには庭園風に石を積み植木をしつらえ、歩行路をつくり正面に不動明王像を祀り、信仰と観光両面の憩いの場として賑わうようになって来ました。
 そして大木どうもを一望に見渡せる滝の入口に料理店を開店。山裾を流れる清水を屋内に取り込んでラムネ、ミカン水を冷し女子従業員を使ってのサービスぶり。
 東側の中腹には料亭をつくり、池を築造するなど幅広い商法が評判になり、新風をよび近郷近在から涼を求める男女で賑わったものでした。
 ところがそれも束の間、不況の嵐のご時勢に逆らえず10数年で明治・大正期の繁昌記は終わり昭和時代を迎えると間もなく太平洋戦争となり、現在の様相になってしまったのです。

 ふるさとの伝説 昔のはなし(宝飯郡一宮町発行)より引用 


大木不動滝

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