● 東上分一番所 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 柿木から豊川ぞいに東方へ旧道を700mほどいくと、左手に「東上分一番所址」という石碑が立っています。 そこはやや小高い土地で、その昔は、まわりを竹の柵でかため、番所前には高札をたて、役人が旅人を調べる玄関のある役所が、信州往還を行き来する役人や、豊川を下る舟やいかだを見おろして立っていたのです。 今は竹やぶで見通しが悪くなっていますが、その当時は、江島の堤防もずっと見通せて、その堤防の上にも高札が立っていました。 このため豊川を下る舟やいかだは全部番所の前にとめられるようになりました。 また陸上でも玄関の前にいって、役人のゆるしを受けて通行しました。 その上、新城方面から、川下へくだる品物にはみんな運上(税金)をいろいろきめて取りたてました。 品物によって100分の1から10分の1までの税をとり上げていました。
 番所の役人は大そういいばっていたようで、非常にきびしく、不正をした者は、「しらす場」(しらべる所)で取り調べました。
東上分一番所(御番所とか御運上所)は豊川ぞいの川と陸の「関所」の役目を1664年(寛永20年) から明治維新 (1886年)までの222年もつづけてきたのです。
 「一宮町むかしばなし」(一宮町若辺大学発行)より


東上分一番所跡

一つ前へ戻る     HOMEへ戻る