●  当古の渡し 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 豊川にまだ橋がかかってなかったころのお話です。

「おおい、船頭さん。渡しておくれ。」
「はいよ。」
見まわしても、だれもいません。
「船頭きん。」
よく見ると、草むらのかげに小さな子どもが立っていました。
「なあんだ。ぼうずか。1人でどこへ行くだ。」
「当古へおつかい。」
 そのころの当古の町は、『たんす、長持以外は何でもそろう』と言われるほど、いろいろなお店が姫街道の両側にならび、にぎわっていました。
「もうすぐ、陽も落ちるっていうのに、何の使いだい。」
「当古へおっかい。」
「どこの店へ行くだ。」
「当古へおっかい。」
男の子は下を向いたまま、それしか言いません。 船頭の源じいさんは、これはおかしいぞと思いました。というのも、天王の渡しのあたりできつねに化かされたという話を、村のばあさんから2、3日前に聞いたばかりだったからです。
「すまんが、舟は出せねえな。」
と言うと、さおを舟にあげました。
 その時、パシャッという音がして、水面がキラキラかがやきました。
「そこにいる子ぎつねは、源さんをだますつもりなんかないぞ。 ただ、町が見たいだけじゃ。 どうだ、舟は出せんというだったら、話だけでもしてやっちやあ。」
朝な夕なに話をした、豊川の魚たちの声が聞こえてきました。 そうだ、舟をあやつる最後の日に出会ったのも何かの縁だ、町のにぎわいを話してやろうと思いました。
「当舌の町にはなあ、いろんな店がならんでおるぞ。まず、旅館が2けんある。 それから、ふろ屋が4けん、とこ屋が2けん。わしも、いつもそこでさっぱりしてもらっとる。そいだもんで、こんなにええ男じゃ。」
すると、下をむいていた男の子がにこっとして船頭さんを見上げました。
「ほかには、どんな店がならんどるの。」
「まだまだあるぞ。お茶屋にまんじゅう屋、煮豆屋にもち屋だ。ここのもちが、また、うまくてなあ。 ええっと、それから、酒屋もあるし、とうふ屋もあるぞ。」
「油あげも売っとるの。」
男の子は、のどをごくっとならして、身をのり出しました。
「すごいなあ。一度でいいから、見てみたいなあ。」
 話をしているうちに、源じいさんは、たった1人で当古の町へ行こうとしている男の子の願いを、かなえてあげたくなりました。
「ぼうず、舟を出すぞ。」
「えっ、ほんとう。 さっきは出せないっていったのに・・・・。」
「ぼうずだろうが、きつねだろうが、当古のにぎやかなところを見せてやるぞ。」
源じいさんがそう言ったとたん、男の子は
「ぼっ、ぼく、きつねなんかじゃないよ。 当古へおっかい。」
と、あわてておしりのところに手をやりました。
「それ、やっぱりなあ。 まあええ、当古へおっかいだな。 乗れ。」
源じいさんのあやつる渡し舟が、すうっと岸をはなれて行きました。 舟には、小さな男の子が1人、ちょこんとすわっていました。男の子は、向こう岸をじいっと見つめたまま、動きません。

 トンと音をたてて、舟は、渡し場に着きました。
「ええか、あんまりながいをするじゃないぞ。 まっすぐ歩いて見てくるだけだぞ。」
陸にあがった男の子のわきを金屋にすみを運ぶ大八車が、ガラガラといせいよく走って行きました。
 あわてて土手にのぼってみると、道の両側には、ずうっとお店がならんでいます。
わあ、源じいさんの言ったとおりだ。ちょうちん屋、げた屋、小間物屋、茶わん屋に金物屋。 男の子は、1けん1けんのぞきこむようにして歩いて行きました。 和田や下条の人たちも買いにきていて、ぼんやりしているとぶつかってしまいそうです。
 ぷうんといいにおいがしてきました。せんべいを焼くおばあさんの手元を見ていると、よだれが出てきそうになりました。
「1つ所にいつまでもおっちゃいかんぞ。 見るだけだぞ。」
源じいさんの言ったことを思い出して、男の子はつばをのみこみました。とうふ屋では、うっかり「1枚ちょうだい」と言いそうになって、出した手をロへ持っていったのでした。 あわててその場をはなれた男の子は、トンテンカンテンと音のする方へ行きました。 船宿、ひリょう屋、ふろ屋をすぎると、火の見やぐらの向かいには、特に広い店がありました。 はんてんを着た番頭さんが、親子づれの客を送りだしているところでした。 ここがごふく屋か。あのむすめさんは、およめに行くんだなと思いました。
「うちのばあさんも、ここで花よめいしょうをそろえたのが自まんでなあ。 そりゃあ、べっぴんだったぞ。」
と、あごをなでた源じいさんを思い出して、男の子はくすっとわらいました。 店の中では、10人もの番頭さんがいそがしく働いていました。
 と、秋葉さんに火をともしに行く人が見えました。
「きっと、わしのしまい舟までにもどるだぞ。」
そう言った、源じいさんの顔がうかんできました。 いそがなくつちや。 当古の町なみはまだ続いていますが、男の子はくるりと向きを変えると、タぐれの町を渡し場の方へ走りはじめました。
 船着き場では、源じいさんが、あかくそまっていく空を見ながら、男の子を案じておりました。 立ったり、すわったり舟をゆするので、魚たちが寄ってきました。
「まさか、しゃべってしまったわけじゃなかろうな。」
「とうふ屋の油あげに手を出して・・・・。」
「源さん、だいじょうぶだよ。 あの子は、源さんの話をしっかり聞いてたで。」
「そうだよ。くりっとした目は人をだます目じゃねえ。」
「わしゃ、今日が最後だて。 ほどこしの1つもと思って乗せてやったんじゃが。」
源じいさんは、それがうら目に出なければいいが、と思いました。
 空は、こいむらさき色になってきました。 嵩山に帰る人たちが、荷物をいっぱいかかえてやって来ました。 もう時間だ、とさおを持ったその時です。
「おじいさあん。」
と、よぶ声が聞こえました。 さっきの男の子でした。 土手の上からころがリおりるように走ってきて、源じいさんの顔をじいっと見つめました。そして、一言、
「源じいさん。」
と、大きな声で言いました。源じいさんも、満足そうに
「うん、乗れ。」
と言ったきりでした。
 舟が、しずかに当古の町をはなれていきます。 男の子は、それはそれはうれしそうな顔で、じっと前を見ていました。

ふるさとのはなし とよかわ (豊川市発行) より 


当古の渡し

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