● 牧野さまと牛窪 前のページへ戻る   HOMEへ戻る 

 ずっとむかし、牛久保の一色城に牧野というとのさまがいました。
 あるあたたかい春の日のことです。 とのさまは、氏神さまにおまいり行きました。 手あらいの金色清水の窪たまりには、今まで見たこともない大きな牛がねていました。 人びとは、みんなその牛をよけて通っていました。
 ところが、人が通っても立ち上がらなかった牛が、とのさまを見るとゆっくり立ち上がったのです。
「たまげた。 牛が立ち上がったぞ。 おとのさまを見て立ち上がったぞ。」
「ほんとうだ。 なんてりこうな牛なんだ。」
人びとは、ロぐちにいいました。
 とのさまもおどろきました。 この牛は、とてもふつうの牛とは思えません。 神さまのつかいではないかと思われました。
 さっそく、けらいの者に命じて、ものしりの長山の庄屋をよんでこさせました。
「わしが来たら、この大きな牛が立ち上がり、道をあけてくれたのだが、どういうことかな。」
 とのさまは聞きました。
「おとのさま。 この牛に出あったのは、よいことの前ぶれでございす。」
「この牛の左右の大きなつめは、とのさまの力を示すものでございます。」
「なに わしのカのあらわれか。」
「さようでございます。 そして、そのつめのけだかさが、なさけぶかい心を持ちなさいという教えでもあるのでございます。」
「なさけぶかい心とな。」
「なさけぶかい心こそ、とのさまのほんとうの力となりましょう。」
 とのさまは、庄屋の話をうなずきながら聞いていました。

 庄屋はさらにゆっくり話しつづけました。
「とのさまが、そのようななさけぶかい心でこの土地をおさめていただけるならば、きっとご子孫がさかえることでざいましょう。 人びともたいへんゆたかになり、平和な土地となりましょう。」
 目をつぶって聞いていたとのさまは、大そうよろこびました。

それからこの土地は、「牛窪」とよばれるようになり、その後、いつまでも久しく(長く)さかえるようにということから、「牛久保」の地名がおこったということです。

とよかわのむかしばなし(豊川市小中学校社会科研究サークル発行)より引用


一色城

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