● 天王神社と煙火 前のページへ戻る   HOMEへ戻る 

 大坂神社の南側に古風な建物のお杜があります。伝えられるところでは、奈良時代の末期のものといわれいます。近づいて見ますと、くぬぎの丸柱、かしの板べい、周囲の縁が土台より相当高く造られているところから、古いものであることはわかります。
 このお杜は天王神社といわれ、毎年7月15日には、境内で手筒や打ち上げ花火が盛大に行われています。今からこの天王神社にまつわるお話をいたしましょう。
 この天王様は、その昔、豊川の洪水で上流から流されて来たものだと言われています。それも、この養父(やぶ)村に着いたものではなく、対岸の猪の島に流れ着いたと言われています。猪の島には前から氏神様が祀られていたところに、この貴品のあるお社をお祀りするがいいかどうかに苦慮していました。そこへ養父村の人たちが、この杜をわしの方にいただくわけにはいかないか、と相談を持ちかけたのです。猪の島の人々は、心よくこのお社を譲ってくださったのです。
 ところが、小さなお杜とはいえ、現在あるこの建物をそのままの姿で川向こうから持ち運ぶためにはどうしたらよいかと相談しました。そこで、このお杜の下に長いかし棒を横に2列、縦に1本通して30人ほどで豊川をかついで渡ることになりました。
当時は今のように橋はありません。「ちんのう」と言われている浅瀬を、
「よいしょ、よいしょ。」
と言ってかついで渡ったのです。そのお社を今の天王集落に持って来て氏神様の横に置いて、長い間祀ってきたのです。
 ところが、養父村には毎年毎年、洪水で悩むことが多かったために、大坂神社が今の場所に移る時、この天王様も一緒に移転して現在の地に納められたといわれています。
 このお宮のご神体が何であるかを養父の人たちは知りたかったのですが、勝手に中を覗くことはできません。
 それが、今から28年はど前、この神社のうしろにある2本の赤松が天王様の屋根に傾いていたので強力な風が吹くと、この屋根の上に倒れる心配がでてきました。
そこで切り倒すことになりました。切り倒した時、1本の大松が天王様の屋根の上に倒れたのです。この小さなお社はひとたまりもなくこわされてしまったので、
「さて、どうする。」
と時の氏子総代はねぎ様に相談しました。
「それは真夜中の丑3つ時に、あんたたちが体を塩で清めて白装束となり、白い手袋をはめてならば、ご神体を取り出してもよい。」
と言われたので、時の氏子総代はねぎ様の指示通りにして一時的に移動して屋根の修理をしてからまた真夜中に元の所に納めたのです。
 ここで面白い逸話が残っています。
「ご神体が何であるかを総代は口にしてはいけない。万一、口外したならば、あんたたちの命はない。」
と言われたそうです。
 現在、そのご神体を移動した方が1人おられますが、絶対に誰にも話しません。どんなに多くの人が中にあったものを尋ねても、ニタニタ笑っているだけで話されません。
 この天王様は花火が好きだと誰いうことなく言い伝えられて現在まで来ました。というのは、ずっと昔、この養父は1年に何度も洪水のうきめに遭い、農作物は全く収穫できない年が何年も続いた時、誰というとはなしに、この天王様に花火を上げたらどうか、ということになりました。それ以来養父村の人たちは花火を続けているということです。

ふるさとの伝説 昔のはなし(宝飯郡一宮町発行)より引用


天王神社

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