●  花ケ池の水葵(すいき)と葵の紋 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 今から500年ほど前は戦国時代と呼ばれ、東三河は、西の松平氏、東の今川氏や武田氏の大勢力の接触地帯でした。
 その頃、小坂井町には伊奈城に本多氏がいて、松平の勢力下にはいっていました。徳川家康の祖父松平清康は、西三河についで東三河を勢力圏にして治めようと、享禄2年(1529)5月、吉田城を攻めました。
 当時の伊奈城主本多正忠は、清康に味方して先陣となり吉田城の東門を攻め破り、城をおとしいれました。
 さらに、田原城へ向かう途中、正忠は清康を伊奈城へ迎え、勝ち戦を祝ってお酒を献じて、もてなしました。その際、城内の池から採った水葵(ジュンサイ)の葉に肴を盛って差し出しました。これは、中国に伝わる『春秋左氏伝』による「明らかな真心があれば水草、浮き草などでも神前や王公にささげ、いさぎよさと忠誠心を表す」という教訓にならった正忠の考えからだったようです。
 清康は、この心づくしにたいへん喜び、「立葵紋は正忠の家紋なり、このたびの戦に正忠最初から味方となり勝ち戦して吉例なり、賜らん。」
と言って、本多家の立葵紋を望み求められましたので、正忠はいさざよく差し上げました。
それ以後、立葵紋は、松平清康の家紋となりました。
 立葵紋は、その後関ヶ原合戦のころに徳川家康によって、三ツ葉葵紋にデザインがえがされたようです。
 水葵を採った池には、文化10年(1813)に「花ヶ池」と書かれた石柱が立てられ、現在は、小坂井町教育委員会、伊奈史跡保存会によって、水葵やコウホネなどが植えられ、公園として大切に保存されています。
 また、本多家代々の初湯の水は、この池より汲んだと言われます。

小坂井のむかし話(小坂井教育委員会発行)より引用 

花ヶ池公園

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