● 平井の薬師様 前のページへ戻る   HOMEへ戻る 

 昔、朱雀天皇の時代に東国の部族が天皇の命に従わなくなったので、天皇は源頼光というさむらいに命じて賊を征伐させようとしました。
 頼光は坂田金時という家来を連れて京都を出発しました。いく日もかかってやっと小坂井まで来ましたが、さらに東へ行くにはしかすがの渡しを渡らなければなりません。そこで、渡しを渡る前に東林寺に寄って、一心に悪賊征伐の祈願をしました。そして、いざ出発しょうとした時、
「おやおや、仏様が重くなったぞ。」
 金時が、常にお守りとして持っていた5センチばかりの薬師如来像がたいへん重くなり、どうしても背負っていけなくなってしまったのです。
「この地はお薬師様にとってゆかりの地であろう。仕方がない。置いていこう。」
 金時は涙を流しながらお薬師様をここに置いて、東国へ旅立ちました。
 まもなく戦いもすみ、都に帰った金時は置いていったお薬師様が気になり、再び東林寺を訪れました。その仏様はお寺の人や村人たちが手厚くお祀りしていましたので、金時はたいへん喜んで、
「こんなに私の仏様がみんなにしたわれているなら………。」
と言って、身の丈2メートルばかりの「さや仏」を作り、そのお腹の内にお薬師様を入れ、お堂を建ててお祀りをしました。
 都へ帰った金時は、朱雀天皇にこのことを申し上げると、天皇はたいへん感激なされ金時の姓になぞらえて「坂田山東林寺」という寺号をおつけになりました。
 その後、たいへん不思議なことが起こるようになりました。お寺の前の川を通る船が帆を上げて通ると帆柱が倒れたり、馬に乗ったままお寺の前を通ると馬から落ちたり、また天秤棒で荷物をかついで通ると、棒が折れたりしてしまう有様でした。これはきっとお薬師様の罰があたるからであろうと思い、仏様を後向きにして祀るようにすると、そのようなことはなくなったそうです。
 それ以来、ずっとお薬師様は後向き(北向き)のままになっています。今でもお寺の北を寺前といっているのは、そのためであると言い伝えられています。
 東林寺の北の畑の中に、この金時を祀る金時塚があります。

小坂井のむかし話(小坂井町教育委員会)より引用


東林寺

坂田金時塚

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