● 菟足の大松 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 大正の終り頃まで、菟足神社の一の鳥居の前に武蔵坊弁慶(今からおよそ年ほど前の人)が植えたという大きな松がありました。 幹の太さは6mほどもあり、大人が3人がかりでやっと持てるぐらいの太さでした。 高さは、枝の出ているところまでで15〜20mもあり、空高くそびえ立った立派な松の木でした。 だから豊橋の方からもこの松がよく見え、東海道を旅する人達に小坂井の里の目印として、長い間親しまれていました。
  しかし、この老松も台風には勝てず、大正15年9月に根元から2mぐらいのところでねじれ倒れてしまいました。 そこで、この大松をしのんで2代目の松を根元に植えたところ、順調に成長しました。 しかし、現在は、枯れて伐採されています。
 ところで、この大松を「弁慶松」と、どうして言うようになったのかといいますと、それには次のような話が残っています。
 昔、弁慶が奥州へ下行の時、「しかすがの渡し」が大水のため渡れませんでした。 その間、彼はこの地にとどまって、七日間で、菟足神社々宝で重要文化財になっている大般若経六百巻を書きあげ、奉納した記念に松を植えたと言うのです。 これは、昔の人の能筆や偉さを伝える物語としてのよい例でしょう。
 実際には、この大般若経は研意智という修行中の坊さんが書いたものなのです。 その頃、毎年正月に神前で大般若経を読んだ人は、名前を書き残すのがならわしでした。 その中に、遠州奥山半僧坊の高僧で虎苓叟慶文という人の署名があるのを、早とちりの人がまちがえて弁慶が書き写したと語り伝えたようです。
 このような語り伝えが残っているのは、この大松がいかに古く、また人々に親しまれていたかを伝えるのにふさわしい話だと言えるのではないでしょうか。

「小坂井のむかし話」(小坂井町教育委員会発行)より


菟足の大松

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