● 力寿姫 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 財賀町の入りロには、「力寿の桜」と名づけられた桜の古木があり、毎年ちょうど、「文殊様」のお祭りのころ、花をつけ、お参りに来る人々の目を楽しませてくれています。木の根元には「力寿碑」が建てられています。その石碑には、力寿姫と大江定基の悲しい物語がつづられているのです。

 今から、千年ほど昔のお話です。
そのころ日本は、小さな国に分かれ、都からつかわされた役人によっておさめられていました。
 大江定基が、三河の国の国司として都からやって来ました。定基は、作物がよく実り、気こうがおだやかなこの地がたいへん気に入りました。人々も礼儀正しく、やしきの中はいつも、定基様に食べてもらおうと持ちこまれた作物や魚や貝でいっぱいでした。
 定基は、いつものように家来を連れてりょう地の見回りに出かけました。秋、田畑の作物は豊かに実り、道ばたのすすきのほも風にやさしくなびいています。
 どこからか笛の音がひびいてきました。何という透き通ったやさしい音色なのでしょう。
 「あの笛はだれがふいておるのじゃ。」 
定基は、笛の音に引き寄せられるように足をすすめました。そこは、赤坂の長福という長者のやしきでした。かきねごしに笛をふくむすめのすがたが見えました。
「あのむすめの名は。」
「長福のむすめで力寿と申します。」
「わたしのひく琵琶に合わせて、笛をふかせたいものじゃ。しゅうかくの祝いによぶがいい。」

 国司のやしきでしゅうかくのお祝いが開かれることになりました。力寿が父の長福長者といっしょにやってきました。
 「あの美しいむすめは、どこのむすめじゃ。」 
人々は、力寿の美しさに見とれてしまいました。
 定基も力寿の美しさに心わうばわれてしまいました。おどりのときも、視線は力寿にくぎづけです。力寿の舞うすがたに合わせて、定基の頭がゆれ動いています。
 楽しいうたげもしだいに終わりに近づき、定基が琵琶をひくことになりました。
 「力寿姫、わたしの琵琶にあわせて笛をふいてはくれまいか。」
 「わたくしがですか。」
 「そうじや。そなたが笛をふくのを聞いたことがあるが、すばらしかった。ぜひいっしょに琵琶をひきたいものじゃと思っていた。」
 「はい。」
二人のかなでる琵琶の音、笛の音はとても息の合ったものでした。人々は、うっとりと聞き入っていました。そして、えんそうが終わるとはく手が部屋いっぱいにひびきわたりました。

 それからというもの、定基は力寿のことをいつも思うようになりました。りょう地の見回りと言っては、長福のやしきをたびたびおとずれるようになりました。また、やしきでもよおしがあるときはいつも、力寿をよび寄せました。
 定基は力寿といると、心が安らぎ、幸せでした。二人で、都のこと、この土地のこと、歌のことなどいつまでも語り合いました。
 力寿も、自分を大切に扱ってくれる定基にしだいに心を寄せていきました。
 やがて、二人は、本を読んだり歌を歌ったりして幸せな毎日をすごすようになりました。
 四年の月日がゆめのようにすぎました。国司としての任期が終わり、定基が都へ帰る日が近づいてきます。力寿は、定基とのわかれのことを思い、食事もあまりすすみません。
 「力寿、どこか悪いところでもあるのか。」
 「そのようなことは、ございません。」
 「では、何か心配ごとでもあるのか。」
 「・・・・」
 「夜、泣いているのを見かけたが・・・・、わたしにできることなら、言うがいい。」
 「・・・・」
 寒い冬のことです。力寿は、かぜがもとで、重い病気にかかってしまいました。定基は、家来に命じていろいろ薬草をさがさせたり、はるばる都からくすりを取りよせたりしました。また自分でも力寿の回復をいのって、お宮やお寺に何度も何度もおまいりをしました。しかし、そのかいもなく、とうとう力寿はなくなってしまいました。
 定基は悲しみのあまり、七日七夜、力寿のそばで泣きくらしました。目は真っ赤にただれ、休もやせ細り、いつもの元気なすがたは見るかげもありません。力寿が死んでしまったことが信じられないのです。力寿のなきがらを、まいそうする気さえありません。力寿の手をにぎり、放心したように力寿の顔を見つめたままです。赤みのさしていた力寿の顔も今は青白く、あたたかかった体もすでに氷のように冷たくなってしまいました。
 なきつかれた定基は、ほんの少しの間、いねむりをしました。ゆめの中に、ほとけ様があらわれて、
「わしは、文殊菩薩じゃ。おまえが、悲しんでばかりいると、力寿も極楽へ行けぬぞ。極楽へ行かせたいのなら、力寿の舌をみはらしのよい山の上へうめてやりなさい。」 と、お告げがありました。
 定基は、さっそく言われたとおりにし、そこにお寺をたて、力寿をとむらいました。そして、美しかったすがたを仏ぞうにきざみ、おまつりをしました。

 その後、定基は都へ帰りました。しかし、力寿姫をわすれることはできず、出家して、名を「寂照」と改め、中国にもわたり、えらいお坊さんになりました。

 財賀寺にある文殊堂が、力寿姫をとむらうためにたてられた「文殊楼」だと言われています。今は、ちえをさずけてくださるほとけ様として、学生を中心にお参りをする人たちでにぎわっています。

ふるさとのはなし とよかわ(豊川市発行)より引用


力寿の碑

力寿の墓

長福寺

西明寺

財賀寺

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