● 魚藍観音 前のページへ戻る   HOMEへ戻る 
 白須賀の郷から伊良湖の郷までの途中に、赤沢という小さな漁村がある。
 今からおよそ650年ほど前、赤沢村に、不思議なできごとが持ちあがった。 一寸先もわからんほど暗い夜になると、海の中に奇妙な光が浮いたり沈んだりするようになった。
 村人は気味悪がり、あたりが暗くなりはじめると急いで家へもどり、誰も外へ出ないようになった。
「あれは何ずら? 恐ろしいことが起きにああいいが」
「漁ができんようになると困るなあ。 どうしたらいいのか」  
と困りはてていた。
 やがて、漁へ出る人も少なくなり、地引き網でにぎわっていた村は、いつしかさびれ、人々の暮らしは苦しくなるばかりだった。 村は、ひと気もなく静まりかえってしまった。 また旅人まで、この話を聞き、街道を通らなくなってしまった。
 この村に、久作という漁師が住んでいた。 久作は、信心深く、毎日、欠かさず経を唱え、村人の仕事も快く手伝うので、「仏の久作」と、村中の評判だった。
 ある夜のこと、久作は、「この村を元のようにしたいなあ」とつぶやいた。
「このままじゃあ、村が死んでしまう。 思いきって海に出て、あの光る物をつかまえよう」とふるい立った。 久作は、ひそかに船を浮かべ、沖へ沖へと漕ぎ出した。
 やがて強い光を放っている場所に辿りつくや、綱を投げいれた。 すると、ずっしりとした確かな手ごたえがあった。 久作は、ゆっくり、ゆっくりと桐を手繰りよせ、光るものを船に引き上げた。
「おおっ。これは観音さまじゃあないか」
 急いで家へ戻ると、観音さまの身体をていねいに洗ってさしあげた。 観音さまは、魚の入ったビクを左手に持ち、慈悲深いお顔をなさった、金色に輝く魚藍観世音菩薩さまだった。 久作は、思わず、 「観音さま、不漁つ、づきで、村の者たちみんなが困っとるだ。 どうか、お力をお貸しください」 と、何度も拝んだ。 久作は、観音さまを仏壇にお祀りし、次の日から朝夕一心にお参りした。
 すると、赤沢の海から奇妙な光は消え、村は元の暮らしを取り戻し、漁師たちは安心して漁に出るようになった。 この話をきいた近隣の村々からも、「わたしらにも、観音様を拝ませとくれと久作の家を訪れるようになった。 久作は、お参りの人がふえて部屋がせまくなったので、「普陀山慈照庵」を建て、観音さまをお移しした。
 その後、明治12年に今の眞龍院は移された。 毎年11月3日、「魚藍観音祭り」 の日に、各地から大勢の人々が集まり、観音さまの供養をつづけている。
 豊橋の民話「片身のスズキ」(豊橋市図書館発行) より引用 


眞龍院

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