● 妙泉寺の春乙桜 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 東海道五十三次のうち、33番目の宿駅だった、ここ二川には、今も本陣の建物の一部が残されています。
 その本陣から東の方へ進み、東町のほほ中央に、妙泉寺(みょうせんじ)というお寺があります。坂をのぼり山門をくぐって中に入ると、お堂のななめ前に、年をとった桜の木があります。この桜の木は「春乙桜」(はるおとざくら)といって昔から有名な木なのです。
〃ハルオトザクラ″なんてすばらしい名前でしょう。聞いただけで春が来たような気にさせられます。この桜の木の下に、1つの石碑が立っています。

  春乙の ふるき昔の 幼木を
     老木の花に のこしけるかな

 この歌は、日かん上人が詠んだものです。お上人は、妙泉寺第18代の和尚さんで、なかなか学問も、行いもすぐれた、立派な和尚さんでした。
 日かん上人に、このようにすばらしい歌を詠ませた、この桜の木は、ずっと、ずっと昔、貞和元年(1345年)日台上人(日蓮宗本山身延山久遠寺の第5代)が京の都へのぼりました折、途中、二川の宿が、なぜか、非常にお気に召し、二川のねずみ池の里(東町のはずれあたり)に「きょうぞうあん」というお堂を建てました。その時お堂が、いつまでも、いつまでも、長く長く続きますようにと、わざわざ、遠い身延山から持って来た桜の木を植えたものなのです。
 それから時がうつり、万治3年(1660年)お堂の名前は、延龍山妙泉寺とかわりました。そして場所も現在のところに移ったのです。通る人、立寄る人の目を楽しませた桜の木も移植されたことはもちろんのことでした。
 安政5年(1858年)正三位藤原説光卿が京都から関東へ行く途中、二川の宿にて、この桜の木の話を聞き、その様に有名な桜の木ならば是非一度と、妙泉寺に立寄りました。時はちょうど桜の季節で、今にもこぼれ落ちそうに咲きほこった枝々をながめ、その美しきに心をうたれ、そこで

この寺の 御法の花の ひらくなる
   桜は世世の 春をおとなう″

と詠みました。そして、日台上人の小さい時の名「春乙丸」をとって、「春乙桜」と名づけました。

豊橋のむかしばなし(豊橋市立中学校国語部) より引用 


妙泉寺

春乙桜

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