● 老ぎつね話 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 昔々のこと。いつの頃かわからないが、吉田村の指笠に相撲(すまい)という珍しい苗字の眼医者が住んでいた。
 ある晩遅くに、1人の坊さんが眼医者を訪ねてやって来た。
「相撲先生、夜分に済みません。私は喜見寺の者だが、誤まって眼を突き困っています。何か良い薬があれば貰いたいのだが」
という。
「それはお気の毒なことじゃ。まずは診てあげよう」
 相撲先生は求められるままに診察し、薬を与えたが、傷は相当にひどいものだった。
 眼医者と喜見寺は近所であり、和尚とも親しくしているので、相撲先生は翌朝、見舞いがてらに喜見寺に立ち寄り往診したところ、和尚をはじめ寺の者たちは、みなけげんな顔をしている。
「寺には怪我人など1人もいないが、何かの間違いではござらんかのう」
と和尚はいう。
 相撲先生は、昨夜、夜ふけに「誤まって眼を突いた‥・」と言ってきた坊さんは何者だったのかと、何か割り切れぬ気持ちで帰宅した。
 その日の午後のこと、喜見寺の和尚が、境内を見廻りしていると、竹薮の傍らで、秋の陽を浴びながら1匹の老狐が気持ちよさそうに居眠りをしていた。よく見ると狐の片方の瞼に、薬がべったりと塗られていた。和尚は、今朝ほど相撲先生が寺を訪ねてきたことの意味が、ようやく解った。
「ははーん。お前さんのしわざであったか。それにしても、坊主に化けて眼医者に行くとはな。お前は、相撲先生のようないい医者に診てもらってよかったなあ。老いた身にはこたえるだろうが、傷は必ずよくなる。寒くならぬうちに早よう元気になって、せいぜい長生きしろよ」
 和尚は老狐に語りかけるようにつぶやくと、居眠りをしている老狐のそばをそっと離れた。

豊橋の民話「片身のスズキ」(豊橋市図書館発行)より引用 


喜見寺

一つ前へ戻る        HOMEへ戻る