● 高井のもちつき 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 青陵街道を玉川校区の和田辻へと進むと、その手前にJA豊橋石巻支店が右手に見えてくる。そこを左折してすぐに石巻地区市民館がある。さら400m西に進むと城ノ内という字名の土地に着くことができる。ここは高台、がけ下には牟呂用水が流れ、西の方に豊川の堤、その先に豊川市街が遠望できる。高井城はそんな地にあった。
 これからのお話は、そのお城があったころ、今から700年ほども前のことで高井のお宮の近く、上田さんの家に伝わるお話です。
 そのころの人々の楽しみといったら、正月とお盆くらいなものでした。上田さんの家では八のつく日には必ずもちをついて、一家そろっての楽しみにしていました。八の字は下の方に広がっていて、末広がりといい、縁起がよく、よいことがある日といわれてきました。そのころの家は、梁(はり)や桁(けた)がまる見えになっている家が多かったそうです。
 上田さんの家では、にわとりを飼っていました。みんなはなし飼いです。
 にわとりたちは、明るいうちは家の周りや畑でえさを食べたり遊んだりしていました。
 上田さんは、そのころ庄屋さんとして村の世話役をしていました。かやぶきの家は大きく、家に向かって右側には『まや口』があり、馬やにわとりの入り口として使い、家の中ほどに『とま口』があり人の出入りに使っていました。
 暗くなると、にわとりたちは家の梁や桁に飛び上がり、寝るところにしていました。家族と生き物たちは住み分けをして、仲良く暮らしていたのです。
 ある年の、12月28日にお城でいくさが始まりました。上田さんの家では、飼っていたにわとりを、いくさから守るために、昼間から家の中に入れておきました。
 28日は、八のつく日です。縁起のよい日です。縁起のよい日は、どこの家でも、もちをつきます。だから、いくさの日だったけれど、もちつきをすることにしました。
 庭のおくどに、大きなお釜をのせて湯をわかします。その上にせいろをのせて、もち米を蒸すのです。おくどの火の番は子どもの役目です。もちをつくのは、ねじりはちまきのお父さん。頭に手ぬぐいをかぶったお母さんが手返しをします。ペッタン、ペッタンときねの音を響かせてもちつきが始まりました。子どもたちはだんだんとできてくるおもちを見て、ほっぺをふくらませ、ごくりと生つばを飲み込みました。早く食べたくてしかたがないのです。
 ところが、この日のいくさは、ことのほか激しく、敵がお城に攻め込んでくる「わあ、わあ」という声がしだいに、はげしくなってきました。
 敵の攻めてくる声ともちつきの音で、にわとりたちが、家の中で「コツココ、ココ」と、恐ろしそうに鳴き出しました。
 戦いはますます激しくなってきます。お城の方からは、矢がシュッ、シュッと音をたて、敵をめがけて飛んでいきます。守る方も、攻める方も必死になって戦っていました。
 よろいを着た強そうな侍が、顔を真っ赤にして、
 「エイッ、エイッ、オー。1人も城に入れるなよー。」
と、大声で叫んでいる声が聞こえてきます。声に答えるように、矢が雨のように頭の上に降ってきます。
 上田さんの家まで、軍勢のときの声、刀のぶつかり合う音、矢の飛ぶ音、敵をののしる声がはっきり、大きく聞こえてきます。
 にわとりたちも、いつもと様子が違う恐ろしい声や物音にびっくりして、家の中で大さわぎを始めました。
 はりからはりへ飛んでさわぐもの。「早く出してよー。コケコッコー。コケコケコケ、コココココー。」と、大声を出して鳴きだすもの。外のさわぎが大きくなるにしたがって、にわとりたちのさわぎも大きくなります。とうとう、にわとり同士が飛び回り、おたがいがぶつかり合ってけがをするものまで、でるほどになってしまいました。そのうちに、あまりのさわぎで、家の戸に体当たりをするものまで、でてきたために、とうとう戸の1枚がバタンと音をたてて外れてしまいました。
 にわとりたちは、「やれやれ、やっと、助かった」とばかりに、大きく羽を広げてバタバタと一斉に家の外へ飛び出しました。せまい戸の間をあわてて飛び出したものですから、つき手のお父さんがもちをついている『うす』の中に飛び込んでしまったのです。かわいそうに、一羽のにわとりをつき込んでしまったのです。
 お父さんは、あまりに急なことだったので、重いきねを止めることができず、もちといっしょに、にわとりの羽をついてしまったのです。びっくりしたお父さんとお母さんが、うすの中をのぞき込んでみると、まっ白なおもちが、にわとりの血で赤いおもちにかわっていました。
 お祝いのおもちが、血のついたおもちになってしまったのです。
 この日の夕方、高井のお城も、敵のはげしいこうげきのため、とうとう落ちてしまいました。このため、高井の家々は、28日にはもちをつかなくなったということです。また、楽しいはずの八のつく日に、血のついた赤いもちになったため、『八日もち』をつかなくなったということです。
 さいごに、上田さんのおばあさんの話では、正月のおもちはくれの30日につくことにしているとのことでした。

 とよはしの民話(豊橋市教育委員会) より引用 


高井城趾

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