● 松原用水をつくった人 前のページへ戻る   HOMEへ戻る   東三河の伝説・昔話へ 

 今から500年くらい前のことだった。 大村の辺りは沼や荒地が広がっていた。 村人たちは小川をせき止めて堰を作り、田を作り、米作りに精を出していたが、水が足りなくなり困っていた。
 ある年のこと、雨は春先に降ったきりで、毎日かんかん照りが続き、池も小川もすっかり水滴れしていた。 田植えの時期までに雨が降り、田んぼに引く水がたまるか心配だった。
 そこで、大村とまわりの村の庄屋たちは村人を集めて、日照り続きによる田畑の水滴れをどうしたらいいか相談した。
「こうなったら、女も子どもも、村中の者が協力して用水を掘るまいか」
ということになった。 大村の庄屋たちは村人の声を上の村の庄屋に伝え相談した。 そこで、上から下の村まで協力しあって用水を掘ることになった。 水の取り入れ口は豊川のずっと上流の瀬木ということになった。 瀬木の人たちは賛成したが、これに反対する人たちがいて昼間は測量できず、夜中に提灯をつけて作業したこともあった。
 村人たちは暑い中で、飲み水も食物も足りないのに昼も夜もなく、何日も何日も作業を続けた。 暑さと疲れでハタハタ倒れる人がでた。
 庄屋たちは本宮山に登り、山頂の岩に願をかけた。
 「どうか用水工事が完成しますように」
願いが通じ、なんとか堀が完成した。
 いよいよ水を流すことになった。 その日、大雨が降り水が増えてよかったと思ったのに、せっかく作った堰が切れてしまい、用水に水を取り入れることができなかった。
 庄屋たちは精も根もつきはて、その場にすわりこんでしまった。
「村の衆になんと言ったらいいか。 工事のために亡くなった人もおるのに。 なんとしても用水を完成しなければ・・・・」
「こうなったら、自分たちが人柱となって水神さまに身を捧げるほかあるまい」と、村人たちに堰の真ん中に穴を掘ってもらい、白い着物を着て、鐘と槌を持って入った。
 やがて、頑丈な堰に作り直され、取り入れ口の板がはずされ、水が流された。 水はどんどん用水を流れ田んぼを潤した。 おかげで無事に田植えができ、村人たちは安堵した。
 その後、村人たちは犠牲となった庄屋さんたちに感謝をこめてお宮をたて、お祀りしたのが八所神社だといわれている。
 豊橋の民話「片身のスズキ」(豊橋市図書館発行) より引用 


八所神社

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