● 三河海苔とみの笠騒動 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

前芝の杢野甚七が嘉永7年(1854年)、初めて海苔養殖に成功した。そして、安政3年(1856年)海苔場開発を願い出、翌年21人の仲間で椎の木をさし生海苔22.5キログラムを収穫し、乾海苔にして150枚を吉田のお殿様(松平伊豆守信古)に献上した。これが三河海苔製造の最初であった。
 慶応2年(1866年)、西浜海苔場の割方にあたり、前芝村や梅薮村は良い場所をとり、平井村、伊奈村、日色野村は悪い場所を与えられたため、3ヶ村の村人は不満に思い場所割り直しを要求したが聞き入れられなかった。3ヶ村の代表は吉田城の役人ならびに前芝村の庄屋、下五井村の大庄屋に願い出たが取り上げられないので、ついに3ヶ村は連判帳をつくり団結を強くして生命をかけて吉田城主に嘆願することを決定した。
 1866年8月1目、3ヶ村の男子は1人残らずみの笠をつけ5つ時(現代の8時)酒だるのかがみを抜き、酒を飲み、勢いをつけてから、平井、横州村を経て四ツ家「水神社」まで進んだ。吉田城主は事態を知って代官を下地村まで出した。しかし、この時幸か不幸か大水のため吉田大橋が流れ落ち、吉田城へ渡ることが出来ず、となり村の庄屋にたのみ、すべて庄屋に一任して夜には引き上げた。このことを「みの笠騒動」といった。
 杢野甚七等の努力によって明治2年(1869年)には解決した。

とよはしの民話(豊橋市教育委員会)より引用 


海苔創業者杢野甚七碑

水神社

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