● 庄屋源吉 東三河の伝説・昔話へ   前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 源吉は、今からおよそ250年前、高足村(高師)の庄屋の家に生まれた。 18歳の時、村人たちに推されて庄屋となった。 その頃、たび重なる飢きんや洪水などの水害にあい、穀物などの蓄えも底をついた。 そのうえ、木の枝1本たりとも自由にならず、お上からの年貢のとりたては厳しくなるばかりだった。
  ある時、たまりかねた村人は、年貢をまけてもらうしか生きていく道はないと思いつめ、源吉のもとへやってきた。
「お役人さまに年貢を免じてくれるように頼んでくだせえ」 「でないと、おらたちゃあ、むしろ旗を・・」と言いかけた時、源吉は、村人の言葉をさえぎり、 「それ以上言うな。みなさんの苦しみは私の苦しみだ。任せてくださらんか」
と低い声できっぱりと言った。
 源吉は、近隣の村々の庄屋に相談を持ち掛け、みんなで藩主・松平氏に年貢を免じてくれるように申し出た。 役人は、これを許さず、
「けしからん。藩主が免ずると申さぬに。 さらなる訴えは、お上の命令に背くもの。 獄に入れるぞ」 とおどしたので、他の庄屋は願いを取り下げてしまった。
 源吉は屈することなく、
「死を恐れて、どうしてこのお願いができましょうや。 願いが取り上げられないのなら、臨済寺山 (吉田藩の死刑執行場) へお連れ下さい」
と言いきった。 そればかりか何度も足を運んで訴えつづけたので、藩主は、検見をするよう役人に命じ、「年貢138石を減じる」 という知らせを届けた。
 村人の喜びもつかの間、源吉は命令に叛いた罪で死刑を宣告され、牢獄に入れられた。 源吉の後を追っかけた村人は、
「庄屋さまを死なせてなるもんか。 待っていてくだせえ」
と叫んだ。 知らせを聞いて駆けつけた村人たちは、
「今こそ、おらんとうが立ち上がる時だ。 みなの衆、心を合わせましょうぞ」
と固く誓いあった。 その足で悟真寺・龍括寺・東別院三坊の和尚さまと連れ立って役場に行き、源吉の刑を減らすよう懇願した。 村人たちの強い気持ちが通じたのか、源吉は五年後に許され、村へ戻って来た。 だが、長い獄中暮らしのため病いの床に伏してしまった。
「もう3年も寿命があったら畑租を減らしてもらって、村の衆をもっと幸せにできたであろうに。 それができないのが心残りだ」
と言い終えると源吉は目を閉じた。 この時、源吉はまだ25歳だった。
 豊橋の民話「片身のスズキ」(豊橋市図書館発行) より引用 


奥谷寺  庄屋源吉の墓

円通寺  庄屋源吉頌徳碑

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