● 虫祭りの供養 前のページへ戻る   HOMEへ戻る 

 今から約300年程前のことです。 中山村は旗本清水様の支配地でありましたが、凶作が続いた上不漁続きでもあり百姓の困窮は一通りではありません。 このとき身を捨てて百姓の難儀を救ったのが、庄屋河合伊左ヱ門と河合久右ヱ門等数名の百姓たちでした。 しかし中山村一帯は一時の急場はしのぎましたがどうしたことか、畑一面虫がつき一層難儀になりました。 その頃清水家の家老志満津さんの奴定平が江戸からの帰り道二川の宿で夢を見ました。 伊左ヱ門、久右ヱ門が枕辺に立って「我等両人は村民の犠牲となって消えたが、誰一人供養するものもなく無念の至りなり、虫となって中山の作物を荒さん」と告げました。 驚いた定平は急いで村に帰りましたが、村は虫と大困りの時でした。 人々に夢の話をしましたので、村の人達もうなずいて、伊左ヱ門、久右ヱ門の2人を文化11年頃より神と崇めて2人の霊を祀り、毎年6月28日には虫祭と呼び中山、小中山、小塩津こぞって大施餓鬼を行うようになりました。 どうして小塩津が加わっているのでしょうか、それは小塩津の人たちの作っていた畑が中山の兼原に沢山あったからではないかといわれます。 また2人の墓碑と記念碑が西湖院の庭前に設けられ2人の命日には慰霊祭が行われます。

渥美町の伝説(渥美町教育委員会発行)より引用 


西湖院と伊左ヱ門、久右ヱ門の碑

一つ前へ戻る     HOMEへ戻る