● 大力お姫様 前のページへ戻る   HOMEへ戻る 

 田原城主になられた三宅の殿様の祖先は、代々、大力で有名でした。中でも三代康盛公(まだ挙母城主)は、特に強力無双であったと伝えられています。
 或る時、島田の宿の本陣で、碁をなさいましたと。相手は、碁にかけては誰にも負けないと自負していた家来でした。大ていは、殿様には負けてあげるのが、家来の心得のように思われていましたが、この家来、自分の思うとおりに突き進んで、康盛公を負かしてしまいました。
 「御無礼つかまつりました。」
 「うーむー。」
 康盛公無念でたまらない。しかし勝負は勝負。康盛公碁盤の上の碁石を掴むと、背にしていた床柱に押し当てると、ぐぐぐっーと押し込んでしまいました。碁石は固い床柱にめり込んで動かない。また1つ、また1つ。床柱に白と黒の碁石で、梅鉢の形ができてしまったということです。
 「ほほう、これが三宅様の碁石の床柱かー。」
 「大した強力よ。」
 と、東海道を上り下りする人々の間で有名になりました。
 その後、この本陣宿が火災にあって、全焼してしまいましたが、その柱だけは、かろうじて持ち出して、今でも残っているといわれますが、私はまだ見たことはありません。
 この大力が、もし女性に遺伝すれば、この大力遺伝は、そこで終わりであるといい伝えられていました。次の4代康勝公は、田原城主となっています。
 果して、1代おいて5代康雄公の姫に伝わりました。この姫は、小さい時から体も大きく、気性も男まさりでしたので、母は大変心配して、
 「どんなことがあっても、あなたの力を、外にだしてはなりませぬぞ。」
と、いつも言いきかせていました。でも姫には、それが不満でなりません。
 或る時、城中で家来達が、大きな武具の箱を動かすのに困っていたので、つい手をだして、軽々と持ち上げ、運んでやりました。
 「ま、お姫様。もったいない。だが、どうしてこんな重い箱を。」
 家来達はびっくり。城中にこの噂がひろまりはじめたので、母は、こんな噂がひろまれば、お嫁にも行けなくなると、いよいよ心配になりました。
 「姫、ここへお坐りなさい。」
 姫は、すなおに火鉢のそばに坐りました。
 「いつも、言いきかせているではありませんか。そなたの大力、だしてはいけませんと。」
 「でも、家来達が困っていましたから。」
 「いくら困っていても、手出しはいけません。」
 「ほんのちょっと、箱を動かしただけです。」
 「それがいけません。」
 母は強い口調です。姫には母のいうことがわかりません。なぜ自分が、ほんのちょっと重いものを持ち上げたくらいで、こんなに叱られて、申し開きも許されないなんて…。くやしくて、くやしくて、そばの火鉢の中にさしてあった鉄の火箸を両手に持って、泣きながらさすっているうちに、つい力が入って、その火箸を、縄のようによってしまいました。
 「そらおそろしき娘よ」
 母は青くなったといわれています。
 またの時、侍女のなにやらの過失を怒って、その髪の毛を引っぱって、ずるずると庭まで引きずっていきました。
 「どうかお許し下さい。」
 と泣き叫ぶ侍女の長い髪の毛を、庭に置いてあった石の手洗い鉢をひょいと持ちあげて、「今後のいましめにせよ。」
 と、髪の上におろして、下敷きにしてしまいました。
 その手洗い鉢(蹲踞)は、800貫(約3トン)もある大きなものでした。
 今もこの手洗鉢は、巴江神社の社務所の前に置いてありますが、さて、800貫は、はかったものでないから、正確にはわかりませんが、やや低いめの平たい自然石で、大変大きく見事なものです。
 いい伝えどおり、この大力は、この姫に遺伝したのが最後で、それから後の三宅家には、こうした大力の方は出ていないということです。

蔵王 田原区文化誌(田原区発行)より引用 


巴江神社と手洗い鉢

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