● 寝祭りと神の釜 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 田原町大字神戸の漆田に、久丸神社というお宮様があります。旧正月の、申、酉、成、の日にお祭りが行われます。
 お祭りといえば、おみこしをかついだり、餅投げをしたりしますが、このお宮様のお祭りは、皆家の中に入って雨戸をしめ、ひっそりと寝てしまうのです。だから寝祭りです。
 久丸神社の古文書には、南北朝のころ、後醍醐天皇の皇子久丸様が、戦をのがれてこの地においでになられたと、記されているそうです。
 はじめ、六連の松林の中でお暮しになりましたが、人々にお顔を見られないようになさったと。村の人もそのお気持ちを察して、子ども達にも、
「見い行くなよ。」
「神様が煮炊をおせりるだで、見てはもったいないぞよ。」
といいきかせていました。それでこの辺りを "神の釜" というようになり、今も地名として残っています。
 この辺り、昔は低い松や雑木の点在する、赤土の原っぱでしたが、今は立派な畑になっています。
 田原町豊島には、久丸様が船から上陸されたといわれる船戸という地名の所があり、また上陸されて、四方を眺められた物見塚という所もあるとききます。
 また、久丸様のお供が、楠九郎大夫という人だったといわれ、神戸の字赤松には、楠姓の家が1軒だけありました。今は子孫が何軒にも増えているそうです。
 また庶民に伝わる話では、昔、遠洲灘にそった六連の百々の浜に、身分の高いお人が流れついたそうな。近くの松林でしばらくお暮しになり、後に神戸の漆田にお移りになられましたと。そのお方は、病気でお顔がただれ大へんお気の毒なお姿だったということでした。
 昔は、こうした伝染する病気の人を、箱舟に乗せて、海に流す風習がありましたと。だからこのお方も、遠い国から流されてきたのだろうというようになりました。
 この久丸様は、人々にお顔を見られることを、大へんいやがられたとか。村の人々はそのお心を思いやって、寝祭りをするようになったのでしょう。
 昔の久丸神社のお祭りは、御神体を輿にお乗せして、4人のねぎ様がかつぎ、お供が2人、6人で百々の浜まで行きます。約6Kmほどあります。遠洲灘の荒波で禊(みそぎ)をなさり、お帰りに神の釜で輿をおおりになり、人の見えない所で何か神事をなさり、それは何をするのか絶対に秘密で、どのねぎ様も固く口を閉ざして、話してくれなかったそうです。
 ”多分お粥かなにか作って、久丸様におあがりいただいたのではないかしらん”と話してくれたおじいさんがありました。
 その行列を見てはいけない。見ると目がつぶれるとか、熱病にかかるとかいわれていました。だから道すじの家々は、雨戸をしめて、寝てしまうということです。
 いつごろのことか。ひとりのおっかさんが、どうにかして、一目この行列を見たいと思い、そうっと雨戸の節穴からのぞいて見てしまいました。するとほんとうに目がつぶれてしまったということです。
 この村の神戸小学校は、授業を早く終って、児童達を家に帰してしまったほどでした。
 今の寝祭りは、久丸神社から、近くの神戸大宮の神明杜までお渡りになられて、一夜お過ごしになられ、翌日おもどりになります。だから、誰も寝てしまう人はないようです。
その御神体がお通りになる時、そこを通らないようにしています。でも、もし知らずに通って、行列に出会ってしまった場合には、翌日お宮様へ行って、お祓いをしていただくのだそうです。

  蔵王 田原区文化誌(田原区発行)より引用 


久丸神社

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