● 山本右太郎さん 前のページへ戻る   HOMEへ戻る 

 大正のはじめまで、田原町には、電気というものがありませんでした。
 夜になると、どの家も、ランプやカンテラをともして、あかりにしました。
 そのころの町長、山本右太郎さんは、
「これからは電気の時代だ。田原町にも、電気会社をつくろう。」
 といいました。
 そのころは、電気はおそろしいものだと思う人が多く、また、お金がたくさんいるので、はんたいの人もありました。
 それでも、右太郎町長は、アメリカから、カーボン式という、火力発電のきかいを買いました。 石炭をもやして電気をおこす、62馬力のきかいでした。
 電気ぎしの平岩さんと、4人の人夫だけという町営の会社を、本町の登りにつくりました。
 その時、町長の月給は15円だったのに、わかい電気ぎしの月給は17円で、人夫さんは8円でした。
 さて、電しんばしらを立て、電せんをひきました。62馬力の発電きは、夕方になると、大きな音をたてて、うごきはじめました。やっと、田原町に電とうがついたのです。大正2年4月のことでした。
 電とうがついてみると、そのあかるいことに、みんなびっくり。はんたいした人たちも、あまりのべんりさに、大よろこびでした。
 子どもたちは、夕方になるとばっとあかりがつき、朝になると、しぜんにきえてしまう電とうが、ふしぎでなりません。
 もう、ランプのそうじをしなくてもよくなりました。夕方、外であそんでいると、
「電気がついたに、はやおかえりよ。」
 と、よばれたものです。
 夜は、1つの電とうの下に、みんなあつまって、それぞれのしごとをしたのです。
 右太郎町長は、たくさんのわかい人たちが、もっと勉強できるようにしたいと思い、せまかった成章館を、今の成章高校の所へうつして、ひろく、大きくし、町立の中学校にしました。成章高校のきそをつくったのです。
 今も、成章高校の正門のよこに、右太郎町長のどうぞうがあります。
 右太郎町長は、十七谷の生まれで、10年あまり、田原町長としてはたらきましたが、59さいのとき、病気でなくなりました。

「もと」ばあちゃんのおはなし(田原市教育委員会)より引用 


山本右太郎像

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