● 与良木峠と鬼半左 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 信州に通ずる旧信州(伊那)街道は、中馬街道とも呼ばれ、荷物を背中に積んだ多くの馬が往来する街道であった。この街道が海老から清崎へ通ずる途中に、与良木と呼ばれる峠があるが、急な坂道で道幅も狭い難所であった。
 それは江戸時代のことであった。飯田の大名脇坂氏のお抱えの馬丁に、半左衛門という大変な力持ちがいた。この馬丁半左衛門は、脇坂藩の荷物を積んで、いつもここを往来していた。
 ある年のこと、半左衛門は数10頭の馬を引き、仲間の馬丁達と共に殿様の荷物を積んで、伊那街道を南へ下り、たまたまこの与良木峠へさしかかった。この時ちょうど数人の武士が、馬に乗って海老の方からやって来た。
 両者は狭い峠の一本道で出合うことになってしまった。両方から山が迫った峠であったので、両者共動きがとれなかった。それが叉、一方は大名の御用荷物を運ぶ馬方であり、一方は馬に乗った武士であったところから、お互いの面目にかけて、一歩もひかず対立し、
「おーい、武士のお通りだ。そこどけ、そこどけ、道をあけぬか。」
と武士側が大声でどなりかけた。
するとこれに対し、負けぬような大声で、
「なにを言うか、こちらは飯田藩脇坂公の御用の荷を運ぶ一隊であるぞ、そちらこそさがって道をあけよ。さがって道をあけぬか」
とどなり返し、ついに激しい言いあいになってしまった。そして武士達は、いきりたって今にも切りかかりそうになった。
 この激しい口論に驚いた他の馬方達は、危険を感じたまりかねて、小代の広場まで下って道をあけようとした。
 この時、1人残った半兵衛は、すごい気合いと共に、荷物を積んだままの馬を頭上高くさし上げ、
「さあ武士共うされ」
と大声で叫けんで道をあけてやった。
 この様子を見た武士達は、この半左衛門の強力ぶりにびっくりしながら、
「これ以上問答無用」
と、馬のけ爪の音をたてながら田口の方へ抜けて行った。
 このことがあってから、半左衛門の強力ぶりは、しだいに街道一帯の評判になり、ついに伊那街道の鬼半左といわれるようになった。

鳳来の伝説(鳳来町文化協会発行)より引用


与良木峠(海老側)

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