● 周昌院の童子像 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

遠州森町大洞院の聞本和尚が北陸の永平寺への旅の途中に玖老勢を通った時、子供達が赤土で地蔵を作り楽しそうに遊んでいた。和尚は不図足を止めて、子供達の土遊びを眺めていた。
 子供達が土で3つの地蔵を作り「中の地蔵さん動け動け。」と言うと、真ん中の地蔵が動き出した。和尚は正に仏心の現れと、子供達から赤土の地蔵を買い取り、其れを布に包んで肌身に付け、再び旅を続けた。
 或る日の事、山の中で日が暮れ、途中で合った山賊に頼んで泊めて貰う事にした。最初の内は山賊達は珍客が来たと親切にしていたが、和尚が尊い仏像を持っていると睨んだ山賊達は本性を出し、どんどん酒を飲ませ探酔させ、隙を見て斬り付けた。一刀の元に斬り倒されたかに見えたが、不思議な事に法衣が裂けているだけで、掠り傷1つ受けていない。只、懐中に入れていた赤土の地蔵だけが真っ二つになっていた。和尚は買い取った地蔵のお陰で命拾いをした。
 此の不思議を知らされた山賊の頭領は仏心の尊さを知り、今迄の自分の人生を恥じ、又深く反省をし和尚の前に両手を付いて謝罪し仏門に入る事を誓った。
 頭領は早速部下を集めて自分の決心を伝え、一族を解散し仏道修行の道に入った。やがて10年程の歳月の過ぎた或る日の事、真剣に修行を積んだ頭領は越前の国で聞本和尚に会い修行を認められて僧に成り、恕仲天ァという名を受けた。
 喜んだ天ァ和尚はやがて思い出深い玖老勢の高山の丘の上に周昌院を建てた。天ァ和尚は其の後も修行を積み、やがて聞本和尚の後を継ぎ広く世に知られた名僧と成った。
 又、聞本和尚は愛弟子天ァに赤と青の童子像を与え「汝もし余の言う事を守って努力し善を積み行うならば青の童子が濃く現れ、もし修行を怠り悪を重ねるならば赤の像が濃く現れるであろう。」と訓戒した。
今日もなお其の2つの童子像は周昌院の寺宝として祀られている。

 爺と婆の話 夢見橋(春夏秋冬叢書発行) より引用 


周昌院

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